ショートストーリー 「この物語はフィクションです」
長続きスノーボード
山田 信次は、74歳のありふれた老人だった。彼の友人はペンションを持っていて、毎年12月から3月までシーズン中は親戚や友人を呼んで、静岡県の裏山にある小さなロッジで楽しく時間を過ごしていた。
信次は、山田家の三男坊で鈍感かつ忍耐強い男だった。生涯独身を通し、気ままに生き、作家のような小さな日々の観察すらも、頁を埋めるインクと生命力と興奮のひとまとまりの源で取り込んできた。だが、そんな彼にも足りないものがあった。それはスノーボードだった。
「ヤマダ、まるで悪霊のようだよ。これを着ると、後ろから風が吹いてくる感覚がする。馬鹿げているように思えるかもしれないけど、本当に自由になれるんだ」と友人の一人、中村さんが言った。
信次は、幼少期からの友人である中村さんが話すスノーボードに対する情熱に心を揺さぶられ、自分でそれを経験することを決心した。
スノーボードの初めての練習はユーモラスだった。信次は何度も何度も転んだが、その度に微笑みながら立ち上がり、再度滑り始めた。泣きたくなる痛みがあったけれど、成功に向かう道程には努力と落ち込むことが伴うのだと信じていた。
山田さんがビギナーレベルから上級者レベルへと進化するにつれて、彼の雪山での冒険も拡大していった。そして彼は感じ始めた。落差やジャンプ、そりすべり、ツリーライン、パウダーなど無数の要素が組み合わさり彼の心に楽しさをもたらしていた。
それでも疑問が残っていた。「何歳まで楽しめるだろう?」と。中村さんは微笑んで答えた、「山田さん、それはあなた次第だよ。心と身体が許す限り、それは永遠に続けることができる」
その冬、信次はさらにスキルアップに取り組み、初めてのブラックダイヤモンドコースに挑戦した。挫折と成功が交差する中で、彼は自らの制限を試し、一歩一歩進歩を遂げていく喜びを味わった。
4月が来て、その季節が終わる。信次は、最後のランを滑り下った。彼は一人で滑り降り、無音の白銀の世界を満喫していた。その時、彼は感じた。寒さも滑走の速度も関係なく、くるぶしの上から脚に伝わる圧力と、身体が滑りながら反応する心地よさ…それこそが、自由と幸せだと。
彼は結論を出した。「私はスノーボーダーだ。何歳であろうと関係ない。自由さを感じ、雪と繋がり、しかし最も大切なことは、何歳になっても新たな挑戦と冒険を恐れずに楽しむことだ」。
そして、信次は毎年シーズンが来るのを待ち続け、再び雪山に挑む準備を始めた。初めて滑った時の興奮は薄まるどころか、より一層強くなるばかりだった。歳を重ねても、信次の心はいつも新鮮で、活力に満ちていた。
信次の物語は、スノーボードがただのスポーツだけでなく、人生そのもののメタファーであることを示している。私たちが直面するすべての苦難と成功は、私たちが何歳であろうとリンクし、私たちが誰であるかを形成する。それは一種の滑走であり、その途中で転んでも、それでもまた立ち上がる勇気を持つことだ。
スノーボードは雪山を楽しみ、冒険を享受し、何よりも人生を最大限に生きるためのツールだ。それは年齢に関係なく、心が求めてやまない自由と喜びを与えてくれる。
信次は、何歳になっても、その楽しみを最後まで謳歌していくことを決めました。それこそが、”スノーボード: 何歳まで楽しめるか?”という質問の答えなのです。それは信次だけでなく、私たち全てにとっても同じでしょう。